[MC202107]お母さんはお願いすれば何でも聞いてくれる僕のセックス奴隷となったのです

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美しい母を奴隷にしてしまった男性の告白 ※DVD収録

告白 石野カズ(仮名)

エロいお母さん
 お母さんを「女」として見たのがいつ頃だったのかは、僕自身の中でもはっきりしません。それはもしかすると、物心ついた初めからだったのかもしれません。お母さんは、十九歳の若さで僕を産んでいます。
 小学校の一、二年生になる頃には、自分のお母さんが周りの友達のお母さんよりも若くて綺麗だということを意識していました。当時お母さんはまだ二十四、五歳だったろうと思います。僕もそんなお母さんが自慢で、大好きでした。
 今でも鮮明に覚えていることがあります。ある夏の日、友達数人と歩いていたときです。
「カズくーん」
 僕を呼び止める、耳慣れた声がしました。歩いている道のかなり先の方で、お母さんが僕を見つけて手を振ったのです。
 お母さんはジーンズのホットパンツに明るい水色のタンクトップで、真っ白な麦わら帽子を被っていました。そのような健康的でアクティブな装いをすることが、お母さんは割と多くありました。
 その時、一緒にいた友達の一人がこう口走ったのです。
「カズのママって……何かエロいよな」
 周りにいた友達も笑いながら同意しました。それを聞いたとき、それまで何とも思ってなかったお母さんの軽装が、突然恥ずかしくなってしまったのです。
 そしてお母さんのそんな姿を人に見られたくないと思ったのです。

 友達にいやらしい目で見られることでお母さんが汚されていくような、そんなもやもやした気持ちになってしまったのです。
 それだけではありません。
 言葉にこそ出しませんでしたが、僕自身も、お母さんの姿をエロいと思ってしまったのです。
 直視してはいけないような艶めかしさを幼心に感じました。
 ある時、やはり夏の日でしたが、こんなこともありました。
 友達とその母親たちと、数人で近場の海に行ったのです。
 僕のお母さんはその年に流行った赤いパレオの水着に、この時もあのお気に入りの明るい水色のTシャツを重ね着していました。
 友達の母親と比べても、僕のお母さんはやはりいちばん若く、いちばん綺麗でした。
 他の母親たちが浜辺でまったりしている間も、僕のお母さんだけは僕や友達と遊んでくれました。
 相撲のような遊びになって、その時、友達の一人がふざけて僕のお母さんに抱きついて、砂浜に押し倒したのです。
 その時に、お母さんが上げた軽い悲鳴のような声に、僕はドキッとしてしまいました。
 濡れたような、泣き声と笑い声が混じったような、日常生活では聴かない声です。
 笑いながら起き上がったお母さんはすぐにいつもの調子に戻って友達にやり返して、砂浜に逆に押し倒していました。
 しかし僕はその光景を直視することができませんでした。
 胸の奥の重苦しいもやもやに、吐き気さえ覚えました。
 お母さんの太ももにべったりと付いた砂を今でも鮮烈に覚えています。お母さんが、友達に体の接触を許し、二人がひっつきながら倒れる姿や、倒れたときのお母さんの悲鳴、そのあとの楽しそうな声に激しく感情を揺さぶられ、嫌悪感のようなもやもやで泣きそうになりました。
 この二つの出来事が大きなきっかけとなって、僕はお母さんを一人の女性として見るようになってしまったように思います。
 それ以降ことあるごとに、お母さんと自分以外の男の接触に異様な感情を抱くようになりました。
 その「男」の中には自分自身の父も含まれていたのです。

お母さんとのスキンシップ
 自分がマザコンに育ったことは、自覚しています。
 小学五年生の途中までお母さんとお風呂に入っていたし、スキンシップも多かったと思います。父が仕事の都合で家を空けがちだったのは幸福でした。それでなければ、僕はもっと父を憎んでいたと思います。
 父が不在の間、僕は思う存分お母さんを独り占めできました。
 一緒だったのはお風呂だけでなく、布団もです。父がいないときにはお母さんの布団に一緒に寝るのが、暗黙の了解でした。
 今思えば布団の中でお母さんに抱きつきながら、おちんちんをすりつけていました。それが気持ちよくてたまらなかったのです。
 精通も、そんな「おちんちんすりつけ」の最中に、たぶん迎えたのだと思います。
 当時はおしっこを少し漏らしたという感覚でした。パンツの中でおさまって、パジャマまでは染みなかったので、お母さんには内緒にしていました。
「お母さんのこと、好き?」
 眠りにつく前、お母さんはよく布団の中で僕にそう訊ねました。
「好き」
 僕が答えると、お母さんはほっぺやおでこ、ときには唇に軽くキスをしてくれました。自分からも同じようにキスをしました。小学六年生の夏からは、お母さんと一緒にお風呂に入らなくなりました。そのきっかけは、自分に陰毛が生えてきたことです。
「ママ、生えてる!」
 自分の股間に生えた産毛に気づいて、お母さんに見せました。
 お母さんは笑っていました。でも僕はそのあと急に恥ずかしさが募って、「誰にも言わないで」とお母さんにお願いをしました。
 そしてその晩からは、一人で入浴するようになったのです。
 それでも、一緒に寝る習慣は中学一年まで続きました。
 中学時代、友達との会話で僕が「お母さん」という言葉を使ったら、笑われました。
「『お母さん』って何だよ」
 そう馬鹿にされたのです。
 急に恥ずかしくなって、それ以降、お母さんとスキンシップをとることが自分の中で気まずいことになってしまいました。
 その後は、以前のように甘えることは極端に少なくなりました。しかし本心では変わらずお母さんの肌に触れたかったのです。
 スキンシップを求める心は、歪んだ形で暴走しました。
 家の脱衣所にあるお母さんのパンティやブラジャーなどの匂いを嗅ぐようになったのです。
 セックスの存在を知ったのはその頃でした。でも同年代の女の子には全く興味がわかず、お母さんと裸で抱き合うことばかり妄想していました。
 パンティの匂いを嗅ぐ習慣はエスカレートし、脱衣所でオナニーをするようになりました。
 精子は手に出して、そのまま洗面所や風呂に流しました。でもときどき、お母さんのパンティに出すこともしました。すごくいけないことをしている感覚に頭がぼーっとしてしまうこともしばしばでした。
 脱衣所の外にお母さんの気配を感じるだけで、たった今出したばかりなのに痛いほどペニスが膨らみました。
 お母さんと素直に接することができない分、中学生時代に欲望がねじれてしまった気がします。
 高校生くらいになると気恥ずかしさが消えて素直になって、またお母さんと話しをしたり、触れ合えるようになりました。
 スキンシップもまた増えました。ちょうどそのタイミングで父が単身赴任になったのです。

募る想い
 お母さんと再び自然に接するようになりつつ、隠れた異常な行動はエスカレートしました。
 お風呂に入る前にお母さんのパンティでオナニーするのが日課になり、湯船に浮かぶお母さんの陰毛を口に含むようになりました。
 明らかに、父が不在になったことで欲望に歯止めが利かなくなっていたのです。夜中にお母さんの寝室に忍び込み、お母さんの顔を見ながらオナニーもしました。僕は一計を案じました。事故を装い、寝る直前に布団にジュースを大量にこぼしたのです。
「しょうがないから、今日はお母さんの布団で寝させてよ」
 僕がそう言うと、お母さんは困った顔をしながらも受け入れてくれました。久しぶりのお母さんとの添い寝は、もの凄く興奮しました。
 僕は体を密着させました。
「何だか懐かしいね」
 僕がそう言うと、お母さんも嬉しそうに笑ってくれました。
 お母さんが寝た後は、お母さんの匂いを思いっきり吸い込みました。石鹸の香りが混じる体臭に、ペニスが限界まで興奮しました。
 そのままお母さんの顔を見ながら息を殺してオナニーしました。気持ち良すぎて、あっという間に射精してしまったのです。
 リビングでお母さんがキッチンにいる姿を見ながら死角になるようにオナニーしたり、お母さんの入浴中に脱衣所でシャワーの音を聞きながらオナニーもしました。
 朝、お母さんがトイレでうんちをした後にすぐ入って残り香を嗅いだり、使用後の生理用ナプキンを舐めてオナニーもしました。僕のお母さんを求める欲望は止まりませんでした。
 そして自然とネットで近親相姦の掲示板などにアクセスするようになったのです。

この続きは、マニア倶楽部2021年7月号をご覧ください。