私が淫らな性奴隷になったのは、体の中を流れる淫蕩の血のせいなのです。
告白 ともみ(仮名)
幼少期の自慰行為
セックスに対する欲求の強さも、やはり遺伝するものなのでしょうか? 自分自身が医療に従事する身(看護師です)でありながら、私はときおりそんなことを考えてしまうのです。
もし自分の体に性的に淫らな人間の血が流れているなら、私がこんなに淫乱な人間になってしまったのも、仕方のないことだという気がします。
それともこれは、ただ自分に言い訳をしているだけなのでしょうか……?
思えば幼い頃から、私は性欲の強い女の子でした。
自分でも無意識のうちに、気がつくとアソコに手を伸ばして弄ってしまうのです。指先で触れられたアソコはすごく熱くなって、それがだんだん体じゅうに拡がっていくのです。
直接触るのも、パンツの上から触るのも好きでした。
下着越しだと直接触れるとき以上に強い力で乱暴に弄ることができて、それもまた、たまらない快感だったのです。
まだ幼稚園だった頃から、私はこの感覚に病みつきでした。
でも誰かにそう教えられる前から、これは恥ずかしいことだという意識はありました。
人前で絶対にしてはいけないこと、見られてはいけない姿だということは、幼心にもわかっていたのです。それでも私はアソコを弄る悪いクセを治すことができませんでした。
「そんなところ触っちゃダメ!」
母はアソコを手で押さえている私を見ると、ものすごく怒りました。他のことではあまり叱ったりしない優しい母が、このことに関してだけはけっして私を許さなかったのです。
母は私に暴力をふるうことはいっさいありませんでした。
でも私がアソコを弄っているのを見つけたときだけは、私の手をつかんで、手の甲を強くつねったのです。
「痛い、痛いよぉ!」
私が泣き叫んでも、母は構わず私の手をつねります。
そして怖い顔で私の顔を覗き込んで、私にはわけのわからないことを呟くのです。
「いったい誰に似たのか……そんなことをしていると、おじいさんみたいになっちゃうわ」
その頃の私にはよくわかりませんでしたが、母の言うおじいさんというのは母の祖父、私から見てひいお祖父さんにあたる人のことを言っていたのです。
このひいお祖父さんが異常なまでに性欲の強い男性だと知ったのは、私が中学生、思春期に入った頃のことでした。
親戚のおじさんたちから聞かされたのです。
抗えない淫蕩の血
もともと母方の家系は江戸時代からの由緒ある家柄で、裕福な地元の豪農だったらしいのです。しかし、それは私から見て四代前のひいお祖父さんの代ですっかり落ちぶれて貧乏になってしまったのです。
没落した原因は、ひいお祖父さんがひどい道楽者だったせいです。それも、女道楽です。
遺された古い写真を見ても、ひいお祖父さんはとても男前だったようです。単に女性にモテただけでなく、精力も相当に強かったのだそうです。
当時、ひいお祖父さんは近隣の人間から『百人様』と呼ばれていたのだと言います。それは本妻であるひいお祖母さんの他に、お妾さんを百人も持っていたという意味なのです。
まさか百人なんて……と思いますが、ようはそれほど女遊びが激しかったということです。
当時を知る人もいまでは少なくなってしまいましたから正確なことはわかりません。それでも、何十人もの女性をお妾さんとして囲っていたことはどうやら本当らしいのです。
母が子供の頃には、まだ一家は大きなお屋敷に住んでいたと言います。そしてひいお祖父さんはそのお屋敷に、本妻とは別に愛人も置いていたのです。
ひとつ屋根の下で、何十年にも渡って本妻と愛人を同居させていたのです。母は「どうして自分の家にはおばあちゃんが二人いるのだろう」と不思議に思っていたそうです。
母はひいお祖母さんから「股のゆるい女にはなるな」と厳しく言われたそうです。それはもしかしたら、同居している愛人に対するひいお祖母さんの当てつけだったかも知れません。
でもその結果として、私の母が貞操観念に厳しい女性に育ったのは確かです。
だからこそ、私がアソコを弄っているときに、あんなにも強く叱ったのだと思います。
親類からひいお祖父さんに関する話を聞かされた晩、私は布団の中で寝つけなくなるほど興奮してしまいました。
続きは本誌をご覧ください。
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