[MC202503]先生の恥ずかしくて辛い授業のおかげで、知美はりっぱな奴隷に成長できています

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奴隷淑女に憧れるマゾ大学院生の告白

告白◎倉科知美(仮名)

置き去りにされて
 自分のことを文章に書くのは久しぶりです。小学校三年の時、国語の時間に「日記を書きましょう」ということになり、ちょっと困った事件を起こしてしまってからは、自分の生活や感情をそのまま書くことは絶対にしなくなっていました。
 当時は児童養護施設に預けられていました。知美はよく学校で作文をほめられていたのです。でも、そのことが問題になりました。
 養護施設に入ったのは、シングルマザーだった母が体を壊して入院したためです。父と母は知美が物心つく前に離婚していたので、父を頼るという選択肢はありませんでした。

 母が退院するまで、ということで預けられた施設でしたが、知美はそこでは浮いていました。ずっと施設にいたり、親類をたらい回しにされてきた子たちというのは、良く言えばいつもお互いに譲り合って遠慮をしていて、悪く言えば子供らしさを失った子供たちです。
 でも、知美は思ったことをそのまま口に出してしまうので、子供たちから好かれず、お風呂やおやつの番抜かしをされたり、学校に持っていく物を隠されたり、ということが毎日のようにありました。
 先生たちから見ると、知美は手のかからない子だったので、まさかいじめに遭っているなんて想像もしなかったと思います。それが明らかになったのは、何の気なしに知美がそのことを学校の作文に書いてしまったためでした。
 大問題になりました。まず教育委員会で大騒ぎになり、施設に県の査察が入り、いじめの実態の調査は一年以上も続いたのです。
 子供心にも、自分の行動が先生達に迷惑をかけたことは理解できました。もう二度と、自分の経験や感想など、本当のことを書くのはやめようと固く心に誓いました。
 でも、いじめのこともこの騒ぎのことも、知美はあまり深刻にとらえていませんでした。というのも、母が退院すれば知美も養護施設を出られるはずで、それはもうじきだろうと思っていたからです。
 ところが、その日はいつまで経ってもやってきませんでした。そして、母から届く手紙の名字が変わり、母が退院して再婚していたことを知りました。
「知美はいつお母さんたちと暮らせるの?」
 と、手紙を出しましたが、「もう少し待ってて」と言われるままに一年が過ぎ、二年が過ぎ、やがて知美ももうそのことをたずねるのに疲れました。
 それと同時に、施設でのいじめはぴたりと止みました。もともとのいじめには理由があったのです。
 知美はすぐに出所する子だと思って、みんな幼い嫉妬をしていただけだったのです。帰るところを失った知美は、みんなと同じ、ただの棄てられて忘れられた子になり、特別視されることはなくなりました。

性加害の手伝い
 無条件に自分を守ってくれる親のいない子たちは、とても心が弱いのです。弱いから、少しでもかばってくれそうな人の言うことは何でも聞いてしまいます。
 先輩や、強い友達、先生や職員などがそうです。性被害どころか、みんな自分から進んでペットのようになりたがっていました。外部から来る医師や評議員と性関係を結んでいた子もたくさんいます。
 知美も、何度も大人たちから誘われました。最初はほかの子と二人で先生の部屋に呼ばれて、先生の肩もみなんかをさせられて、それは知美もしましたけど、その後で先生が「じゃあ、今度はお返しだ」と言って、友だちの体をマッサージしはじめたのです。
 友だちはくすぐったがって、きゃーきゃー騒ぎ出し、
「知美、里佳子の足をおさえていて」
 と、知美も手伝いをさせられました。すごく、すごくいやでした。
 先生は笑いながら里佳子の肩や腕をくすぐっていましたが、そのうち、ぺろんと里佳子のトレーナをまくり上げたんです。えっと思いました。里佳子がトレーナーの下に何も着ていなかったからです。
 先生も里佳子も突然沈黙して、その場の雰囲気が変わりました。その時は小学四年生でしたが、里佳子はもう胸がふくらんでいて、二つの乳首はブドウみたいに黒々と丸くなっていました。その胸を、先生は大きな手の平で下から上にゆっくりとなで上げたんです。
 里佳子が大きく息を吸うのがわかりました。やめてとか、いやだとかは言いません。
 この人たち、こんなことをするのは初めてじゃないんだ、とわかりました。そして、驚いたことに先生は里佳子の右手をつかんで、自分のズボンの前に持っていき、ふくらみに触らせたんです。とっさに、ここにいてはいけないと思いました。

この続きは、マニア倶楽部2025年3月号をご覧ください。