[MC202507]おもらし、おむつ、自虐…劣等感の塊だった私の傷をパパ様の厳しい調教が癒やしてくれるのです

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家畜になることを選んだおもらしマゾ少女の告白

告白◎紅緒(仮名)

変則的な家庭
 私は、毎日おむつを着けて大学に通っている女です。ご覧のような姿で通学し、授業を受けています。
 おむつが外れるのが遅く、そのままおねしょが癖になっていました。小学校に上がってからも、布団を濡らさないようにおねしょシーツを敷いて寝たり、旅行のときは大きめのパッドを当てたりしていました。
 五年生になるとおばあちゃんが、
「林間学校もあるし、生理だって始まる年頃だから、おねしょを治してあげないとかわいそうよね」
 と言って、私を病院に連れて行きました。おばあちゃんは優しいのです。おねしょをしても怒ったことはありません。
 病院では「過活動膀胱による夜尿症」「昼間尿失禁症」と病名がついて、びっくりしました。それまでは、おねしょもおもらしも、私が甘えん坊だからだと思っていたのです。

「ママがあまりお家にいないから、淋しくておねしょをするのかと思っていたけれど、病気なら仕方ないわよ」
 と、おばあちゃんは私に甘々でした。おじいちゃんも、
「一生おねしょしている人なんていないんだから、気にすることはないよ」
 と、やっぱり甘々なんです。
 淋しくて、というのはママが残業で帰りが遅かったり、出張があったりしたからです。でも、ママがいなくて淋しいと感じたことはあまりありませんでした。
 小二のときに両親は離婚していたし、それまでも父親は単身赴任であまり家にはいなかったのです。そのせいか、私はマンガやゲームが大好きで、一人で何時間でも遊んでいられる子供でした。
 ママの実家は裕福で、祖父も事業をしているため、ママと私を養うぐらいは平気でした。四人での生活で淋しいと思ったことはなかったのです。
 でも、ママは離婚と同時に総合職のOLになり、私はおばあちゃんに世話をしてもらうようになりました。ママはお金のためではなく、もう一度独身にもどって自由に生きてみたかったみたいなんです。
 忙しそうなのに、結婚していたときよりも楽しそうで、イキイキしていました。
「ママ、最近、若くなったみたいね」
 と、私が言うとママもうれしそうに笑顔を見せました。仕事だけではなく、恋もしているようでした。
「ねえ、たまにはどこか連れて行ってよ」
 と言うと、スマホのスケジュールを見ながら、
「あ~、ごめん! 今夜は〇〇君とご飯食べる約束しちゃったんだ。紅緒も来る?」
 と、私も連れて行ってくれることがありました。相手は毎回のようにちがう人です。
 みんなママのペットみたいで、ママの言うことを聞こうと必死な感じがしました。父親との縁が薄かったせいか、どちらかというと大人の男性は苦手なのですが、私にあまりかまわないでくれるので安心でした。
 性的な関係なんだろうな、と幼い私でも感じていました。ママは彼氏の唇についたソースを指で拭いてペロッとなめたり、別れ際に外国人みたいにキスをしたりしていましたから。
 恋多き女ですが、ここまでオープンだと、子供の私も傷ついたりはしませんでした。母親というよりちょっと年の離れた姉みたいな感じだったのです。
 家では、おばあちゃんが洗濯も掃除もしてくれるし、お裁縫もお料理が上手なので、ママが仕事と恋に夢中でも何も困らなかったのです。今から思うと、ちょっと変則的な家庭だったと思います。

お仕置きって何?
 幼稚園の年長さんのときに、ちょっと意地悪なお友だちとケンカしたことがあったのです。番抜かしをしたとか、些細なことだったと思います。
 その子はすごく口の悪い子で、私は口では絶対に勝てませんでした。黙っていると、どんどん言いつのって詰め寄ってきたので、とうとう私はかんしゃくを起こしてしまいました。机の上にあった、その子のお道具箱を床に叩き落としたのです。
 ちょっと物に当り散らしたつもりが、派手な音を立ててお道具箱が床に落ち、箱のふたを留めていた金具が壊れて外れてしまいました。
 あっと思った時には、それまで怒っていたその子がワーッと声を上げて泣いていました。私はただただ呆然としているばかりでした。一人っ子だということもあり、誰かに泣かされたことも、誰かを泣かせたこともなかったのです。
 園バスから降りると、おばあちゃんが「お帰りなさい」と、いつものように笑顔で迎えてくれました。でも、担任の先生から電話連絡があったようで、私におやつを出しながら、
「それを食べたら、〇〇ちゃんのおうちに謝りに行こうね」
 と言いました。
「人の物を壊したらダメよ。わかった?」
 と言われて、ドーナッツを食べながら「うん、わかった」と言ったものの、おばあちゃんのことばの意味が深くわかっていたかというと疑問です。
 それなのに、そのとき食べていたドーナッツの味、お皿の模様やおばあちゃんが着ていたワンピースを、なぜかよく覚えています。相手のお家に行って何をどう謝ったのかは、全く記憶に残っていません。
 次の日、幼稚園に行くと、泣かせてしまった子が話しかけてきました。いじわるな様子ではなく、仲直りがしたいんだなとわかりました。
 どちらからともなく「ごめんね」「ごめんね」と言い合ったあと、その子が言ったのです。
「きのう、おばあちゃんに叩かれた?」
「え?」
「お仕置きされた?」
「ううん」
 そのとき初めて知ったのです。よその家では、悪いことをした子はお仕置きをされるんだと。そんなのは映画やマンガの中の出来事だと思っていたので、とても驚きました。
 驚くと同時に、凄く興味がわきました。あの子はお仕置きをされたことがあるんだ……。
 家に帰ってからもそのことばかり考えていて、ふと思いついて、おばあちゃんの裁縫用の物差しで太ももを叩いてみました。
 バチンと、凄い音がしました。おばあちゃんは買い物に行っていて、いません。いろんなところを叩いてみましたが、太ももがいちばん大きな音がして、ジーンと強い痛みがありました。
 太ももの熱さと痛みをこらえていると、不思議な感情にとらわれました。別に先生からもおばあちゃんからもたしなめられただけで、きつく叱られてはいません。それなのに、誰かに謝って、許されているような気持ちになったのです。 
 小さな声で「ごめんなさい」とつぶやきながら、また叩いてみました。ますます気持ちよくなりました。甘く、しびれるようなその感覚は、経験したことのないものでした。それ以来、たびたび自分を物差しで叩いたり、爪を食い込ませてつねったりするようになったのです。
 特に、おばあちゃんに言われたことや、幼稚園の決まりを守らなかったときにやると、私は悪い子だという気持ちを忘れることができました。
 もはや自罰オナニーのとりこでした。私は「叱られる」「罰せられる」ということにあこがれていたのです。

 この続きは、マニア倶楽部2025年7月号をご覧ください。